後藤見聞録

2020/01/07

境界知能という社会的グレーゾーン

先日、年末に赤ちゃんを産んで放置、赤ちゃんが亡くなったあとに119番通報し保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された女性のニュースがでまして

「お金がなかった」年末に出産の赤ちゃん放置 死亡 母親逮捕
2020年1月2日 22時42分

東京・足立区の住宅で年末に出産した赤ちゃんを放置して死亡させたとして、2日、31歳の母親が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました。
逮捕されたのは東京・足立区西新井のアルバイト、池田知美容疑者(31)です。
警視庁によりますと、池田容疑者は先月28日に自宅の浴室で出産した女の子を放置し、元日に死亡させたとして保護責任者遺棄致死の疑いが持たれています。
池田容疑者は1人暮らしで、女の子を出産したあとも2階の寝室に置き去りにして、ふだんどおりアルバイト先に出勤し、元日にみずから119番通報したということです。
また、赤ちゃんの父親については以前の交際相手ではないかという内容の説明をし、医療機関を受診していなかったということです。
調べに対し、「病院に行くお金がなく、周囲に相談できる人もいなかった」などと供述しているということで、警視庁が詳しいいきさつを調べています。

「お金がなかった」年末に出産の赤ちゃん放置 死亡 母親逮捕 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200102/k10012234261000.html

この記事に対し、
自力出産後に遺棄したことが悪いのではなく
産み育てられないなら孕む行為をもう少し考えるべきだということかな
そして産み育てられない社会や政治が悪いのではなく
産み育てる覚悟を持つことなく孕む行為に及ぶ知識レベルの低さ、つまり教育こそが問題であると思うのだけど

で、等しく教育を受ける権利を有していても
差が開くのはなぜなのか
それは学歴ではなく、人生の選択という意味で差が開いているということであり
そう、机の上での勉強だけが教育じゃないってことかと
 
別に既存の基礎教育を否定する気はないけど
そこじゃないのはもうわかっているだろうに

とSNSにUPしたのですが、友人からの
「知的グレーなのかもしれないね」
というコメントと、この推薦本でちょっと考えました。

この本、出てすぐに斜め読みしていたのですが、今回のことを念頭に置くと全然理解が違って、まぁあっという間に(たぶん1時間半くらい)で読了しました。

かいつまみますと、知能指数の中には境界知能というゾーンがあって、知的障害には認定されないけれど、正常な知能とは言い難い何かしらの欠損がある人が日本人全体の14%前後はいる、というものです。
筆者は児童精神科医としてずっと仕事をされていて、
「怒られている意味がわからない」
「相手がどんな感情を抱いているのかを正確に把握できない」
といった、「認知」の力が乏しい少年が、そのズレから社会で生きづらくなったり、勘違いしてキレて犯罪に手を染めてしまったりしているケースが多々あると主張しています。
これは「軽度」を含む「知的障害」と判断されるための知能テストにも抜け穴があり、拾われていない子がいるということを示しておられまして、だいたい小2くらいでその兆候が見られるとのこと。
ここで救い出せたら、彼らの中で犯罪に手を染めずに済んだ子は結構いるのではないか、と私も読んで思いました。

で、この「境界知能」と先のニュースにどんな関連性があるかと言いますと、直接的にはないんです。
ただ、このニュースを見た人の中には
「なんでそんなになるまで誰にも相談しなかったの?」
「周りはなぜ気づいてあげられなかったの?」
といった疑問を抱かれた人もいらっしゃると思います。
私は
「彼女が産んで育てる社会保障を提供していない政治が悪い」
という論調に異を唱えるスタンスと言いますか、
「いやいや、そもそも産んで育てる覚悟を教えてないことが悪いのでは」
という立場でした。これは産婦人科の広報をしているという立場的な見解もあってのことです。
(事実、日本の性教育は本当に稚拙で遅れていると思います)

で、友人が指摘してくれた可能性が先の「境界知能」なのですが、これは予測でしかないので、今回の女性に当てはまるかは実際はわかりませんし、それを答え合わせすることが目的ではなく、「境界知能というグレーゾーンに生きる人が、望まずに犯罪者になっている可能性」について考える機会となれば、と思っています。

・もしかしたら、性教育を受けた段階で、「避妊について」とか「出産するとか親になるとはどういうことか」を理解できていなかったのかもしれない
・もしかしたら、妊娠したけど誰かに相談しないと大変なことになるという先を考えることすらできなかったのかもしれない

「え?そんなことあるの?」
と思われるかもしれませんが、上の本を読んだ今なら、「あるかもしれないな」と思うのです。
色々な社会の手から零れ落ちてしまうということが、実際にあるのだとこの本でしみじみ思いました。
そしてそれは、上述のような段階で躓いているけれど、日常生活はおくれているから、誰も気づかない。
そんな可能性が、実際にあるということです。


「ケーキの切れない非行少年たち」。
「このホールケーキを三等分して」
と言っても、三分割にできない少年がいて、しかし彼らは知的障害のゾーンにいないがゆえに気づいてもらえず、
でも「図形を正確に書き写す」という認知能力が乏しいため、「友達が自分のことを見て笑った」とか(実際は笑っていない)、
「友達たちが遊んでいる輪に入った瞬間にみんなが逃げたから嫌われたと思った(そこから不登校に…実際は鬼ごっこが始まった瞬間だっただけ)」
みたいなことから、ちょっとずつ社会とズレてしまう子がいる、ということを知ると、
幼児期の教育や社会にいる大人が学んで手を差し伸べるべきこと、してあげられることはもっとあるのではないかと思えてならないのでした。